雑記

マニュアル化の光と影

今日、考える内容は、まだしっかりと固まってはいないことだ。

タイトルの通り、マニュアル化について考えていきたい。

まだ、色々と考えて入るが、まとまった内容に落とし込めていないので、思考の整理のついでに書くつもりだ。

いつもよりも、読みづらさがあると思うが、ご容赦願いたい。

今日の内容は、改めていうがマニュアル化についてだ。

マニュアル化による、仕事のコモディティ化と労働力の値下げ減少について、または、組織の求める人物像についてというような軸で考えを深めていきたい。

現在では、度のような職場であったとしても、マニュアルというものが存在すると思う。

マニュアルの意味自体は、手順や取扱説明書の意味がある。

仕事の取扱説明書、ないし手順をまとめたもののことだろう。

マニュアルがあることで、仕事を早く覚えたり、わからなくなったときは自分で仕事の内容を振り返ることができることがメリットだ。

メリットばかりに注目されるが、仕事のマニュアル化によって生じる問題がある。

それは、自分で考える力を従業員から奪うことだ。

マニュアルに沿って行動すればいいので、自分で考える必要がない。

そして、マニュアルから外れるようなことは、全て管理者に聞くようになっていく。

これは、責任だけ取るのが嫌な管理者や、過干渉の気がある管理者にとってはマニュアルの重視というのは望ましい出来事だ。

しかし、私の考えでは、よりよい職場やチームを作り上げていく上では、マニュアルは必要最低限にとどめ、スタッフが各自で判断できるような道筋を模索していくことが望ましい。

なぜなら、強いチームになるからだ。

マニュアルベースの職場というのは、大企業病のようなものだろう。

なので、細かい歯車は、大きな馬力を必要とはせず、きちんと規格にはまって、故障せずに動いてくれればそれでいいのである。

経営者にとっては、どうか。

いいチームを作りたいと口で入っていても、利益を目指さなくてはならないのが経営者だ。

そのような視点で考えると、マニュアル化された職場というものは、従業ンが誰でもできるというのがいいところだ。

けんこうな男女であれば誰でもいいのであれば、労働力の価値は低下する。

なぜなら、誰でもいいからである。

優れたマニュアルに管理させるのであれば、管理者さえまともな人間を置いておけば、あとはかかしみたいなものでもつとまるのだ。

まとめると、経営者はマニュアル化を望む。

チームリーダーは、マニュアルから外れてくれることを望む。

現場は、大多数はマニュアル化を望む。

小市民、いや民草は自分に責任が及ぶことを恐れているのだ。

なので、すべてのことをマニュアルのせいにできる方が安心して働くことができる。

市民は、自分お頭で考え、造像力を発揮する。

自分の行動に責任を持ち、誰かの医師に左右されることを嫌う。

結局は自分の責任になることを嫌うのだ。

中間管理職もそうだ。

マニュアル化して、そこから逸脱した社員は、その社員のせいにできる。

そして、報告を徹底させ、決してミスをさせないようにする。

けっか、自分の頭で考えて判断するスタッフの芽を摘み取っておきながら、下が考えて動いてくれないなどと、矛盾したことを愚痴るのだ。

前提として、基本的な仕事についてのマニュアル化はいいことだと思っている。

しかし、必要最低限にとどめておかないと、スタッフが自分で考えて動けなくなってしまう。

もしかしたら、マニュアル違反になるかもと思った瞬間、行動は消えるのである。