雑記

給料を上げろという人がまずやるべきことはお金の勉強

社会人の1年目、2年目の頃はお金がないのは、会社の給料が安いからだと思っていた。

周りの人間もそのように話していたし、会社の先輩もそのように話していた。

しかし、まったくもって間違っていた。

お金がないのは100%自分の責任である。

事実、会社の給料が安かったとしても、それをお金のない原因にしてしまった時点で打つ手なしである。

なぜなら、お金のない原因は、会社が原因であり、自分には全く非がないというような立場になってしまうからである。

自分の行動を変えるのが一番簡単なので、お金がないのは自分に問題があるという立場に立つことが最も重要だと考えている。

そもそも、給料というものの招待をわかっているのであれば、そのような発想も生まれない。

給料が安いということは、その仕事から受けるストレスが小さいということだ。

労働力再生産のための経費がそれほどかからないから、給料が小さいのだ。

そして、理学療法士の場合、すでにコモディティ化していることが原因なのである。

コモディティとは日用品というような意味合いの言葉だが、代價可能というような意味合いを持つ。

仕事をこなしていくには特別なスキルは必要なく、理学療法士という資格だけあれば良い。

働いている人間はすべて理学療法士という資格を持っており、そこに優劣は存在しない。

会社からしても、セラピスト一人が生み出す金額は年令を重ねても変わらない。

一生懸命やっていようが、手を抜いていようが、利益を生み出す金額が同じであれば、基本的にはどっちの人材でも良い。

しかし、会社が何らかの社会的な理念を有している場合、その理念を実現できるような存在が優遇されるであろうが、そこを評価できる存在がそもそも少ない。

話がそれた。

お金を貯めるためには、自分の欲求と折り合いを付ける必要がある。

それでなくては、給料が増えれば増えるほど、支出が増えていく。

結果、自由に使えるお金は少ない。

このように、お金にまつわるわなというものはたくさんある。

だからこそ、ほとんどの人間は金欠であえいでいる。

昔の人間で、景気のいい時代に一財産築いているのであれば、なんの問題もないが、これから生きる人間がそれまでと同じように過ごしていたら貧困まっしぐらだ。

政府の保護も低下していく。

映画、ダニエル・ブレイクのような結末を迎えないためにも、今できることを淡々と積み重ねていくしかない。