雑記

雰囲気的なものとルール

新型コロナの流行がとまらない。

そして、8月も中旬となり、熱中症で搬送される人の数も増えてきている。

今年は新型コロナ流行予防の観点から、マスクの着用が推奨されている。

公共交通機関や、スーパーや温泉ではマスクの着用がとりわけ推奨されている。

書によってはマスクがない人の入場をせいげんしており、その場で購入する必要のある施設もある。

マスクの着用は重要だと感じているが、一方で、熱中症のリスクを甘くみてはいけないと感じている。

熱中症は気合や根性では防げないと思っている。

必要なのは、適度な水分補給と休憩だ。

あとは、外に出る際には、必要のないときにはマスクを外すことだ。

今の世の中、マスクをしていないものに対してのあたりが強くなっている。

いわゆる村ルール的なものであると思うのだが、なんのためのマスク着用かよりも、村八分にされないために必要なものがマスクと感じる。

これらのものは、空気を読むというような日本的な性質が要因と考えている。

なんとなく、強制的、支配的な雰囲気が働いた時に、正直生きにくい世の中と感じる。

それは、自分が我慢しているのに、まわりが我慢しているのが許せないというような感情の動きだと思う。

非常に嫌なものだ。

特に会社勤めの人間は、そのようなルールではない、雰囲気的なものの影響をもろに受ける。

先輩が帰るまで帰らないとか、そんなやつだ。

マスクをなんのために着用するのかを考えれば、マスクを付けていないときがアッてもいいと思う。

一体誰に感染させてしまうというのだろうか。

なんとなく。

雰囲気に流されて、生きていくというのが主流の生き方なのだ。

なぜ、そうなってしまったのかというのは、頭のいい学者さんが色々と考えているのだと思う。

大事にしたいのは、自分がどう生きるのが自分にとって幸せなのかを考えることだ。

会社の利益と個人の利益は反するものであり、どのように双方の間に合意を取れるのかということが重要な視点だと感じている。

日本的な空気感として、組織の利益を優先するべきだという主張がある。

自分の利益を追求する人間は、自分勝手だというような扱いを受けることが多い。

なかには、本当に自分勝手な人もいるとは思うが、多くの場合は会社による強制力のよなものが働いていると感じる。

個人として、患者の治療にベストをつくすことは必要だと個人的には思うが、あくまでそこは個人の感情論でしか無い。

患者の治療にベストを尽くさせるのは、会社の仕事であり、個人の責務としては、質の変わらない労働力を提供し続けることであるからだ。

治療技術云々を個人の要因にするのは、基本的に間違いだと思う。

それは、個人の感情論でしか無い。

会社が、熟練された臨床技術を提供したいと考えているのであれば、そのような人たちを集めるか、教育に積極的に取り組む必要がある。

しかし、それは建前であることが多い。

実際に会社が求めているのは、安定した労働力であり、実績をコンスタントに挙げられることだ。

会社から求められていることを、自分の給料の範囲の中で実現させているのだから、特に問題はないのだ。

契約上は。

なので、問題を起こしているのは従業員の個人的な感情だと思っている。

真面目にやるのが馬鹿らしいと感じるのであれば、無理やり真面目にやっているということになる。

そんな真面目さは捨ててしまったほうがいいとさえ思う。

自分なりの意味を見いだせずに、強制された仕事(ほとんどはそうだが)のしつは真面目にやったとて、いいことはない。

自分で、強制されなくても、平気なように環境や考え方を整えていきたいところだ。

本当に問題なのは、臨床技術を追求できるような環境を整えてあげることができないことだ。

医療従事者や介護従事者が、そこそこ豊かな生活を送ることができても、従業員は自分の生活に満足できなくなっている。

口を開けば不満ばかり。

金銭的な問題と、SNSで別の世界が目に入りやすくなっていることが原因と思っている。

隣の青い芝生ばかり目に入ってしまうと、目の前の業務に集中できない。

大多数にとっては、長時間勤務、居残り実技練習のほうが幸せへの近道になるのかもしれない。