雑記

自分の心に背くことから迷走が始まる。

自分の決定、自分の決断から逃げることは意味がないような気がする。

なにか、ささいなことでもいい。

例えば、友達や家族、もしくは恋人とショッピングモールに買い物にいったとしよう。

お昼ごはんに何を食べるか決めなくてはならない。

しかし、そのショッピングモールは初めてで、どこのお店のご飯が美味しいのかわからない。

そして、フードコートはない場所だったとしよう。

そのときに、お昼のお店を決める人が必要となる。

自分が何かを食べたいからそこを主張したとしよう。

そして、その主張が採用されたとき。

もし、そこのお店の料理がまずかったら、その責任は追わなくてはならない。

なので、みんなでどこのお店がいいのかウロウロしてしまうのである。

なぜなら、大して食べたいものがあるわけでもないのに特定のお店を選ぶことは、リスクしかないからだ。

できればリスクのないところに立っていたいというのが人の心というものだと思う。

これは、非常に簡単な例である。

しかし、よくあることでもあると思う。

一方。

逆の場合もある。

例えば、これも友人でも恋人でもなんでもいいんだが、待ち合わせに遅れたとしよう。

そのときに、待たされた方はこれ見よがしと普段から抱えていた鬱憤をまとめて吐き出すことがあるのではなかろうか。

これは、自分が時間を守った。

そして、時間を守るのは当たり前であり、時間に遅れた人を攻めるのは当然のことだというような前提があると思う。

自分があたかも正義の化身とでも勘違いしたところで起こる事象であろう。

考えてみてもらいたいが、時間に遅れたことは間違いないが。

普段の整理整頓ができていないことを、時間をももれないことを引き合いに責めるのは、筋が通っていない。

自分が正しいという立場を存分に使って、無抵抗の相手をただ殴っているような行為なのだ。

不倫も同じだ。

不倫のことこそ責められるのは仕方がないが、これみよがしに関係のないことまで根掘り葉掘りネチネチ言うのは卑怯者のすることだと思う。

かといって、私が時間を守らなかったり、不倫したりしたわけではない。

そもそも、独身だ。

では、なぜこのようなことがおきてしまうのであろうか。

一つの原因として考えられるのは、いうべきときに言うことができなかったことだろう。

そのときに、感じたことでも抱えることで、不満を抱えてしまう。

非常に不健康だ。

その癖のせいで、自分が病気になったとしても人を攻めてはいけないと思う。

環境のせいにするのも結構だが、もともと人間は環境に合わなくなったり、自分の周囲に十分な餌がなくなったときには、肥沃な土地を目指して旅を続けてきた種族だ。

大丈夫だ、むしろ本能的には環境を変えることは難しくないはずだ。

さて、人類史の話が出てきたので少し思い出した話がある。

人見知りの話だ。

私人見知りなんです。という人がいるだろう。

大の大人として、人見知りと主張するのはおかしいような気もするがここではおいておく。

話の本題からそれてしまう。

自分が〇〇なんです。と主張するときはたいていふさわしくないものと考えているときだと思う。

たとえば、お酒の席で、実は下戸なんですと主張するのが文脈にはあっている。

ここで言いたいのは、人見知りが少数派手あるかのようにとらえられていることだ。

そもそも、人間とはにと見知りにできているという主張がある。

群れや集落で暮らしていた頃は、人見知りが発動することもなかった。

なぜなら、ほとんどの人が生まれたときから見知った人であるからだ。

なので、人見知りなのは当たり前だ。

知らない人と話す機会なんて殆どなかったのだから。

まして、知らない部族とあったときには戦いが起きる場合もある。

それならば、人見知りであるのはアタリマエのことだと思う。

その前提を持った上で、私人見知りなんですというのは、日本で明らかに日本人しかいない食事会で、私日本人なんです。と主張しているようなおかしさがあるように思えてならない。

だいぶ脱線した。

話をもとに戻そう。

変に賢くなってしまった人間は、社会性というものを身に着けた。

ある意味生きていくには必要な事ではあるが、その社会性が故に自分のけんこうや寿命を短くしている人が多いように思えてならない。

どのような立ち振舞をするにしても、いさぎよく自責の心というものを持ちたいというものだ。

自責の心があった場合、受け入れることができることがメリットだ。

他責の場合、自分の責任が発生しないような自体を作るのにも時間がかかるし、事態が悪化した場合にも他人のせいなので自分を改めようとしないのである。

正直損な生き方であると思う。

そのような人を見かけるたびに、めんどくさい人であるなとおモノに加えて、やや愛しい思いがするのである。

自分の人生を生きれるようになってくれと、わずかに祈りつつ、その場をあとにする。

仕事の顧客の場合、一応全力を尽くすが、それがうまく行かなかった場合でも、それは自分の実力不足だと白旗を上げるつもりだ。