雑記

アウトプットに経験をのせて

インプットとアウトプットという言葉がよく使われます。

医療的な視点でみると、インプットは理解、アウトプットは表出のような意味合いで使われます。

つまり、言語能力の評価に使われる表現ではありますが、一般的には、本などの情報を自分の頭の中に入力することがインプット。

頭の中の情報を言葉や、文章などで表出することをアウトプットと表現します。

PT評価では、インプット、アウトプット良好や困難さありと言うような言葉で使われます。

一方、インプットの量が足りていない、たくさんアウトプットしたなどというような表現で使われます。

能力を判断するものと、量を判断するものとなりますね。

今回は医療的なものではなく、一般的な意味でのアウトプットとインプットについて考えを深めていきたいと思います。

アウトプットが重要

インプットだけではもったいないです。

新しい情報や、重要な知識があったとしてもただ聞くだけでは、知識は定着しません。

取り入れた情報をアウトプットすることにより、知識は定着しやすくなると言われています。

新しい情報を人に伝えたり、ブログなどに書くことで定着しやすくなります。

そのことは、一般的になりつつあり、ブログに情報をまとめて書いたり、SNSで情報発信したりする人が増えています。

ただ、アウトプットするだけでは薄っぺらさが目立つ

まったくもってブーメランの事柄ではあるのですが、しっていることをただ人に話すだけでは、情報を頭の中に入れるに過ぎません。

人から聞いた話を、あたかも自分が聞いたことのように話をする人は、頭でっかちになりがちです。

情報としては同じことを言っているのかも知れませんが、そこに自分で行動してみた上で生じる経験が生まれてきません。

ネットワーク系の人間に多いです。

人から言われた情報を鵜呑みにしてそれをあたかも世の中の正解であるかのように振りかざす人間がいます。

それは、未来予想でも正論でもなんでもなく、宗教のようなものであると思います。

例えば、経営者がよく言うような言葉に「人が大事」というものがあります。

経営者はその言葉にたどり着くまでにいろいろな経験があり、その言葉が生まれてきているはずです。

しかし、考えの足りない人は、その言葉の上澄みだけをすくい取って、振りかざします。

その言葉を裏付ける経験はありませんが、言っている内容な人間至上主義に基づきます。

人間至上主義も一つの宗教のようなものではありますが、その論理的に否定しにくいものです。

仮に否定したとすると、「じゃあ、あなたは人のことを大切にしないんだ」と言われます。

卑怯ですわ。

宗教をしたいのか議論をしたいのか

正直、宗教を扱っている人とは会話になりません。

神様を信じている人に、そもそも神の定義とは何なのかと言うような会話が成り立ちません。

なので、考えを深めるために議論をしたいと思っていても、相手が宗教家の場合は実のある議論にはなりません。

時間の無駄としか言うことはできません。

より良い考えを生み出すためには議論が不可欠ですが相手にその危害がないと疲ればかりが貯まるばかりです。

そして、もう一つ重要なのは、知識を経験として昇華させることです。

どんなに素晴らしい知識を有していたとしても、実行できないのであれば絵に描いた餅としか言えません。

新しい知識を得た場合、それを実際に行い。

経験を得ることにより知恵として、自分の中に積み重ねていきたいものです。