雑記

人が生きるとき、死ぬとき

「あなたの人生のゴールはなんですか?」と聞かれたときに。

「自分の人生のゴールは死です。」と答えたら。

「それじゃあ、さっさと死ねば。」と言われたことがあります。

面倒くさい問答だった。詰問だったのでそんな答えをしたのですが、その結果キレられました。

その人にとっての人生のゴールは何だったんだろうと思いますが、死ぬまで人生は続きます。

人生をマラソンと考えたとき、第一チェックポイントにたどり着くという目標はあってもいいと思いますが、そこにたどり着いたとしても人生は終わりません。

まだまだレースは続きます。

途中でリタイアしなければ、どんな人でもその人なりのレースにすることができると思います。

人によっては、東に進むコースもあれば、西に進むコースも有る。

片方の人から見たら、もう一方の人は道を逆走しているように見えますが、それぞれ前進しているという視点で見ることができます。

それぞれの人が自分の決めた道を進み、登ろうと決めた山に登る。

でも山に登り終えたあとは、次の山を見つける。

そして登ってもいいですし降りてもいいです。

前半はそんな形です。

では、終盤はどうでしょうか。

人生をどのような形で終えていくのか。

仕事なんてさっさと引退して、自由気ままに過ごすんだ!

それもありかもしれませんが、よっぽど趣味や人付き合いがなければボケてしまうと思います。

老後の生活資金も不安です。

趣味みたいな形で塩とができたら最高ですよね。

その段階も過ぎて、体が思うように動かなくなったとき。

人の世話になりたくないと言いながら人の世話になってしまうとき。

どうしたらいいのか。

人の世話になる自分を受け入れてあげてください。

なぜ人の世話になるのが嫌なのか。それは、世話になったときにあいてに、「ありがとう」というのが嫌な人だからです。

人世話にどんどんなったほうがいいです。そしてどんどん周りの人に「ありがとう」という言葉と気持ちを配ってあげてください。

それが世話になる人間のやるべきことです。それだけの心配りで、周りの人を幸せにすることができます。

文字通り「心」を配るのです。

周りの人は、心のこもった言葉をもらえると嬉しくなります。

仕事だとしても嬉しいですし、仕事でなくても嬉しい気持ちになります。

その役割を果たせる人が、最近では少ないように思います。

介護の仕事が辛いものという誤解はこのようなところから生まれます。

気持ちに余裕を持ってゴールまで走りきりたいです。

そしてどんな最後にしたいのかということについても、元気なうちに話し合っておきたいところです。

そんな話やめてよ。と目を背けるよりも、ちゃんと自分の死について、どこで、どんなふうに、誰に囲まれて、迎えたいのかということを具体的に話をして置けるといいと思います。

実現するかどうかはわかりませんが、誰かに伝えておいたほうが実現する可能性は上がります。

そして、その最後のシーンを具体的にイメージして、幸せな最後にすることができれば、変に怖がる必要もないと思います。

僕が、最初にこのイメージに取り組んだときは、

実家に戻り、日本海に沈む夕日を眺めながら、家族に囲まれて、それぞれの日常に暮らす音の中で静かに息を引き取りたい。とイメージしました。

かなり、穏やかな最期でした。

そのように死から目を背けないことが、人生を最期まで走り切ることだと思います。

死ぬとどうなるかはわからないので、自分の都合のいいように考えてください。

死ぬ直前まではある程度コントロールできるはずです。

今回も最期まで読んでいただきありがとうございました。楽しんでいただければ嬉しいです。