雑記

拠り所のない人は観念の世界に生きる

司馬遼太郎先生の関が原を読んで、僕は石田三成のことを観念の世界に生きる武将だと感じた

観念の世界。

やや難しい言葉のように感じるが、僕の中では「物事とはこのようにあるべき」という思い込みが強い世界だと思う。

〇〇はこうあるべきという人に共通する個性というものがあると思っている。

それは、よって立つものがない人ではないだろうか。

石田三成の場合、豊臣秀吉が正義で教科書のように考えているのではないかと思う。

もともと、この人は普通の人であったのに、豊臣秀吉が寺から連れ出すことにより運命が大きく変わった。

しかし、豊臣秀吉亡き後は、豊臣秀吉が存命のときのルールを頑なに守り続けることが、リアリズムにかけるような生き方であるのにも関わらず、彼はその生き方を変えることができない。

現代においても、自分の正しさから抜け出すことのできない人というのがいるのではないかと思う。

そして、その正義の範囲から飛び出すことを恐れている、

恐怖のために足がすくんでしまい、自分でも必要だと思っている行動を起こすことが難しくなっています。

僕自身もそのような経験があります。

大抵は、行動をおこせたのに起こさなかったときに、自分の行動を正当化するために観念を生み出す。