「すべての悩みは、対人関係の課題である。」
これは、心理学者のアルフレッド・アドラーの言葉である。
「嫌われる勇気」という書籍により、日本でも有名所になった人物であるが、この言葉は本質をついている。
逆を言えば、人間関係が楽になれば、ほとんどの悩みが解決すると言っても過言ではない。
経済的な悩みも、自分のコンプレックスも、すべての悩みは人間関係があるからこそ生まれてくる悩みなのである。
世の中には、生きるのが下手くそな人が一定数いる。
そのような人たちが陥るのは、他責思考である。
他責思考とは、その名のごとくすべての原因を自分以外のものに求める姿勢である。
「うまくいかなかったのはあの人のせいだ」「環境が悪かった」「運がなかった」
そのような言葉が口から出るようであれば、他責思考にはまっている人である可能性が高い。
このような姿勢の人間には道は開かない。
アドラーは、原因論を否定している。
原因論とは、すべてのものには原因があるとする主張である。
これは、コンプレックスも含んでおり、アドラーはコンプレックスを完全に否定している。
なぜ、コンプレックスというものを人間は作り出しているのかを考えたときに、それは未来の行動を左右するためだと主張している。
例えば、高所恐怖症の人は、高所恐怖症という事象を作り出すことにより、高いところに行くことを避けようとしている。
逆に言うと、高いところに行かなくて済むように、高所恐怖症という事象を作り出している。
対人コンプレックスというものも同様である。
これは、人が苦手なのではなく、人と合わないための理由を作るために対人コンプレックスという状況を自分自身で作り出しているのだ。
嫌いな人も、苦手な人も同様だ。
最初は全く問題のなかった間柄であったとしても問題は生じてくる。
このような場合には、アドラーの考えよりも「はこの本」の考えが有効であると言わざるを得ない。
この本を読んだ場合の反応は二通りだと思う。
一つは、何を当たり前のことを言っているんだと。
もしくは、思いやりをもてとはアタリマエのことを言っているんじゃないよ、というような反応である。
一方、このような考え方があるのか道が開ける場合もあるだろう。
読書というものは、自分の経験やそれなりの知恵がなくては、質が高まっていかないと考えている。
なぜなら、知恵のない人間が読書をしたとしても、その論拠を確証づける経験や、知見が不足しているために、文字の羅列としかとらえることができないからだ。
だからといって読書が無駄になるわけではない。
私は、昔から沢山の本を読んできた。
しかし、本の知恵との向き合い方は、理解できていなかった。
だが、続けてきたことにより、知識を蓄えることはできたと思う。
また、本を読む力というものはついてきたと感じている。
本を読むことにより、今までの当たり前の出来事が異なる支店から眺めることができるのだ。
鳥瞰で物事を捉えることができるようになってくる。
そうなると、感情を惑わせられることも減ってくる。
感情に行動が左右されなくなると、人間関係も良好なものが増えてくる。
そのような状態で、関係が築けない人とはかえって距離を開けたほうがいい。
新しい視点をもたせてくれる本をあげるとすれば、間違いなく私の場合「はこの本」だ。