書評

【理学療法士の将来を考える】徳川家康に学ぶ。上に立つ人に大事なものとは

最近は、司馬遼太郎の『覇王の家』という小説にハマっています。

書評とは少し異なりますが、途中まで読んだ上で、マネジメントに重要な視点を考えていました。

覇王の家とはどんな本?

『覇王の家』は司馬遼太郎によって1970年1月から「小説新潮」にて連載された本です。

その内容は、徳川家康の幼少期から天下を取るまでの姿を描いたものです。

歴史小説は色々ありますが、『覇王の家』は戦争物ではなく、どちらかというと、組織の中での身の振り方やマネジメントについての小説です。

戦いまでの人間関係やその機微を家康という人を通じて描いています。

家康の生涯を描いていますので、かなりの分量ですが、先がきになりページをどんどん捲ってしまいます。

天下人「家康」とは

徳川家康という人について、皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか?

同じ時代を生きた人に、織田信長や豊臣秀吉という強烈な人たちがいるせいで、イメージがはっきりしないかもしれません。

おそらく、「鳴くまで待とうホトトギス」のイメージで、とにかく我慢の人というイメージがあるのではないでしょうか。

本を読んでもそのイメージは変わりません。

しかし、どれくらいのレベルの我慢や忍耐、辛抱が求められたのかは、この本を読んで知ることとなります。

そして、家康のマネジメントの方法こそこれからの会社や組織において必要となるような方法だと思います。

改めて、「徳川家康」という人物の生き方を追従することで、自分のマネジメントについての考えを深めていきましょう。

我慢をしないと部下に刺される

戦国大名の組織はどのようにして成り立っているのでしょうか。

強烈なトップが君臨しており、部下はその支持に従っているというイメージがあるかもしれません。

現在の会社の組織は、おそらく上司の言うことは絶対で、部下は不満があっても従うしか無いのではないでしょうか。

組織とは、そのような強烈なトップダウン式の形であるという前提があるかもしれません。

確かに戦国時代でも、織田信長のような強烈なカリスマが率いる組織はそのようなトップダウンによって構成されていました。

トップダウンの組織は、強力なリーダーシップにより、特定の方向に全体を導くのには非常に効率の良い方法だと思います。

しかし、強力なリーダーシップを発揮する人間は、例外なく部下に刺されます。

数々のカリスマが歴史上に存在していたと思います。

殆どのカリスマたちは、自分の部下に刺されてしまいます。

しかも、有能な部下に寝首をかかれるのです。

強烈なリーダーシップを発揮する人間は、有能さゆえに、部下から恐れられてしまいます。

猜疑心が疑いをうみ、部下は上司が自分を利用しその功を奪ってしまうのではないかと疑います。

リーダーは部下に功をあげられるようにしなくてはなりません。

家康が発揮したリーダーシップは、生易しいものではありません。

このようなリーダーシップのあり方があったのかと非常に学びになりますので、どのようにして天下人になっていったのかを振り返っていきたいと思います。

部下の顔色をうかがうリーダーシップ

徳川家康は生まれながらに非常に苦しい状態にありました。

幼少期は今川義元の人質として育った家康ですが、一番の苦渋の決断は、自分の自慢の息子の信康を殺さなくてはならなかったことです。

なぜ、そのような決断を強いられたのか。

本当の歴史にはいろいろな説がありますが、ここでは小説をもとに解説していきたいと思います。

家康の正室に築山殿という女性がいます。

この女性はもともと、今川家の名家のでです。

そのころ家康は、今川家にとっては取るに足りない存在でした。

力はなくとも、三河の名家ではありました。

そんななか、歳を重ねても嫁に行けない築山殿をどうしたものかとなったきに、家康のところに嫁入りにいかせます。

その築山殿は三河を田舎とバカにし続けます。

彼女の育った駿河という土地は文化的には華やかで三河のような田舎とは違うというよな思いがあったのでしょう。

そして、今川の後ろ盾をもとに尊大な態度を取り続けていたのです。

しかし、桶狭間の戦いで今川は織田に破れました。

そして、今川家は武田と徳川によって完全に消え去ります。

このことにより、築山殿は後ろ盾を失います。

それにあいまって、息子の信康のもとには、信長の娘である徳姫が嫁いできます。

徳姫は当然、尾張の後ろ盾があります。

尾張の勢力である徳姫と駿河の勢力である築山殿の勢力争いは家康の目の届かないところで起こっていたのです。

しかし、後ろ盾のない駿河と信長という強力な力をもった尾張では力の差は歴然です。

ヒステリックを起こす癖のある、築山殿の妄想は激しくなります。

このままではまずいと。

そして、そこを打開する方法として、家康と信長を殺すという妄想をいだきます。

そして、彼女は行動に移します。

後ろ盾として、武田家に手紙を書くのです。

そのたくらみも信長の耳に入ります。

信長も、その当時は難しい立場にありました。

長篠の戦いで武田家に勝利するも周りは敵だらけ。

このような中で、徳川を敵に回すことは得策ではない。

そこで、事の真相を徳川の老中、酒井に尋ねます。

酒井は、徳川筆頭の武将です。

信長が何を聞いているのかも正しく理解しています。

しかし、家康の息子の信康と酒井の関係は悪かった。

酒井は信康が生き残らないような選択をするのです。

家康は酒井から信長とどのような話をしたのか知ります。

この時、家康には2つの選択肢があります。

息子の信康を殺し、徳川・織田同盟を続けるか。

それとも、信康を保護し織田と対立するか。

しかし、これは選択肢として現実的ではない方法でした。

信康の評判は悪く、これを守るために織田と対立する道を選ぶということは、徳川家臣とも対立することを意味します。

こうなってしまったら、もはや徳川を維持することは困難です。

徳川は泣く泣く、息子を処刑します。

のちのちまで、家康はその時のことについてぼやきます。

しかし、その決断を生み出すきっかけとなった酒井の処遇を悪くするようなことはしなかったのです。

酒井も計算で動く男です。

家康が酒井に対して、冷遇するようなことが合ったなら、おそらくその寝首をかかれていたのではないかと思います。

現在の職場ではどうか

現在の職場ではどうでしょうか。

家康と同じような行動をすることは難しいにしろ。

部下を蔑ろにしているところは多いのではないでしょうか。

部下に気を使うようでないと、有能な部下はついてきませんし、有能なものには寝首をかかれるでしょう。

あるていど、部下に花を持たせるような対応が必要になっていくはずです。

今後、会社にとっては買い手市場が続きます。

そんな中で、上司が強い職場がたくさん生まれるでしょう。

その上司も更に上から、高い目標やノルマを課せられているとは思います。

しかし、そんな中でも力の組織を維持していくためには、強権を発揮するようなマネジメントでは力を発揮できません。

組織の強さを後ろ盾に、困難なマネジメントから逃げてはいけません。

相手に気持ちよく働いてもらうための工夫を続けていくことが重要です。

会議一つでもそうです。

家康は軍議ではほとんど発言しなかったそうです。

部下の発言を待ってから、決定するのが家康の仕事でした。

職場の会議では、発言が活発に出ているでしょうか。

活発な環境を整えるのが上司として取り組むべき重要なことでしょう。

まとめ

歴史小説から学ぶことができるということも学びです。

これからおそらく困難な時代がやってきます。

時代の向かい風にもまけず、できることに取り組んでいきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。