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認知症になっても昨日の自分はそこにいる「ボクはやっと認知症のことがわかった」【書評】

認知症の検査をしてもらえますか?ときかれたら、お医者さんやリハビリテーション職の人は、「HDS-R」という検査を思い浮かべますよね。

HDS-R。日本語でいうと、「改定長谷川式簡易知能評価スケール

医療従事者としては、おなじみの検査法ですけど、この長谷川先生がご存命だということを知らない人は多いんじゃないでしょうか。

ましてや、認知症のスペシャリストの長谷川先生が、2017年に認知症になったということを自ら講演会で発表なされたことも知らないですよね。

僕はこの本を読むまで知りませんでした。

今回は、2019年12月27日に出版された「ボクはやっと認知症のことがわかった」という本を紹介していきたいと思います。

昨日と今日で、読み終わった本なんですけど、すごく誰かに伝えたくなるような本です。

長谷川先生にお会いしたことはありませんが、先生が僕自身に優しく語りかけているような気持ちになりました

ただ、情報を伝えているのでなく、優しいのに、そこに長谷川先生の思いがすごく乗っかっているような気がして、誰かに伝えたくて仕方ない気持ちになったんです。

ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言posted with ヨメレバ長谷川 和夫/猪熊 律子 KADOKAWA 2019年12月27日楽天ブックスAmazonKindle

認知症の歴史を振り返る

2025年には認知症の人口が700万人を超えると言われています。

世の中の高齢者の5人に1人は認知症になるという未来が、現実的になってきています。

高齢者の方からお話を疑うと、「認知症にはなりたくない。」というお話をよく聞きます。

認知症に対して、世の中はネガティブなイメージを持っています。

長谷川先生は、認知症に対する悪いイメージは、「痴呆」という呼び方がその一因であったのではないかとお話されています。

たしかに、痴態を晒すの「痴」と阿呆の「呆」じゃ、いいイメージは持てないですよね。

そして、もう1点あげているのが、1972年に出版された「恍惚の人」という書籍や映画に原因があるのではないかといっています。

作品自体は、当時の社会福祉制度の貧しさを、世の中に訴えかけ、社会を動かすような作品であったのですが、そのなかで登場する認知症の人が、何もできない、わからない人というイメージを日本全体に植え付けてしまったのではないかと話しています。

「痴呆」という言葉と映画による認知症の人の極端なイメージ。それが、現在を生きる私達にも影響を与えていると考えると、ちょっと怖いような気もしますね。

長谷川先生はどんな人

長谷川先生がどのような人かというのを僕はほとんど知りませんでした。

その功績はたくさんあると思います。

  • 「長谷川式簡易知能評価スケール」の公表
  • 「痴呆」から「認知症」への用語の変更
  • 日本初の国際老年精神医学会を開催  など

あげればきりがありません。リハビリの仕事をしている自分としては、デイケアをはじめて作ったのが長谷川先生と聞いて驚いています。

もともと、認知症の人たちのために作られた仕組みだったんだなぁと。

長谷川先生は、2017年に認知症を発症します。

自分の今までの臨床の経験から、これは認知症だと感じたそうです。

診断の結果は、嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)。有名なアルツハイマー型認知症に比べて、進行が非常にゆっくり進むそうです。

認知症の危険因子は、加齢です。

認知症の予防は「一生ならない」ことよりも、いかに「なる時期を遅らせられるか」が重要

と先生もお話しています。

ある意味では、認知症になることを受け入れている心の準備が、日本で一番できている人だったのだろうなと感じました。

長谷川先生は日本中で、認知症の公演をしていました。冗談のように、「今度は認知症になったらその様子を伝えていきたいと思います。」と語っていました。

ですが、実際に自分が認知症になったときに、「私は認知症なんですが、、、」と語ることができるなんて、心の準備がよっぽどできていなければできないなと思いました。

先生の場合は、認知症の患者さんと向き合ってきたことで、準備をしていったんだろうなと思います。

みなさんが認知症の人と接するとき、ぜひ、心に留めておいていただきたいことがあります。…..

「聴く」というのは「待つ」ということ。そして、「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。

今まで、本当にたくさんの人たちに自分の時間を「差し上げて」きたのだと思わずに要られません。

頭では、重要だとわかっていても、そのように自分の時間を差し上げるなんてことは、難しいことだと思います。

やろうと思って、すぐにできそうな気がするのですが、それをやり続けるとなると難しい。

先生は、お医者さんとしてすごく忙しくしていても、患者さんのために自分の時間を差し出し続けていたようです。

どんなに忙しくても、毎朝、患者さん全員の顔を見に行くなんて、できるようでできないことです。

どこから、そんなエネルギーが湧いてくるのかすごく不思議に感じました。

認知症の方も私達と同じ

認知症でも昨日の自分と変わらない

この本では、医者としての言葉よりも、認知症の代表として語っている言葉が多いように感じました。

認知症になったからと言って、突然人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます

認知症になってしまったからと言って、別人になってしまったように扱わないでほしい。

認知症の当事者として、自分の存在が曖昧になっていく中でも。

見当識が怪しくなってきたとしても、たしかにそこにいるのは、自分なんだというメッセージが伝わってきます。

このような言葉を聞いていると、今まで認知症の方との接し方がほんとうによかったのか、思い返すようになります。

何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてきぼりにしないでほしいと思います。

きっと、多くの認知症の方も同じように感じている場面があると思います。

家族と医療・介護従事者だけで、今後のことを決めてしまうことは多々あります。

本当は、その中心にいるのは患者さんだったり、利用者さんであったりするはずなのに。

僕自身の経験でも、やはり患者さんがいないなかで、方向性が勝手に決まっていくことをたくさんみてきたのですが、訪問リハビリの研修会で会議のデモがありました。

その中で、患者さんを中心にして、ケアプランを決めていくというディスカッションがあったのですが、その中の役割に「患者さん」役がありました。

ディスカッションで「患者さん」役の人が感じたのは、どんな内容かはおいておいて、自分のことを周りのみなさんが一生懸命考えてくれるのは、とても嬉しいと話していました。

認知症の人でも僕たちと変わらないはずです。

パーソン・センター・ケア

先生が提唱する考えに「パーソン・センター・ケア(その人中心のケア)」というものがあります。

そのたとえ話がとてもわかり易かったので、紹介させてください。

公園を歩いていた小さな女の子が転んで泣き出しました。

すると4歳位の女の子が駆け寄ってきました。小さな子を助け起こすのかと思ってみていたら、女の子は、小さな子の傍らに自分も腹ばいになって横たわり、ニッコリとその子に笑いかけたのです。

泣いていた小さな女の子も、つられてニッコリしました。しばらくして、女の子が「起きようね」というと、小さな子は「うん」といって起き上がり、2人は手をつないで歩いていきました。

その女の子の様子が、まさにパーソン・センター・ケアだということです。

起こすのに手を貸すのでも、慰めるのでもなく、その人の立場に立つことで、自分の力で起き上がることができた

そんなうまくいくわけねぇだろ!と思う人もいると思いますが、できることならそのような形を一つでも増やしていければいいと感じずに入られません。

その考え方は、認知症の人だけでなく、普通に働いている自分たちにも言えることだと思います。

思うに、認知症の場合。

こちらの環境に大きく左右されてしまうのだと感じました。

認知機能が問題なければ、お互いにお互いの社会性でごまかせていたものが、ごまかせなくなってくる。

おそらく、人との接し方に細心の注意を払っている人だったら、認知症の方にもそうじゃない方にも、不安を与えずに安心感を与えることができるのでしょう。

そう考えると、コミュニケーションが上手く行かないのを認知症のせいだけではないのだろうなと思います。

長谷川先生の思うこと

長谷川先生は、認知症になることで今まで当たり前にできていたことができなくなっていっています。

老いを受け入れるとはどのようなことかということに対して、「人知れず耐えること」という言葉を紹介しています。

老いる事は、死に向かってどんどん近づいていくことであり、できなくなることも増え、耐えることが増えていくと語っています。

そんななかで、認知症は「死への恐怖を和らげるような薬」とみることもできる。

副作用はあるけど、その耐えるということは、非常にしんどいことなのだろうなと想像できます。その他得ることを軽くしてくれるのが認知症であると考えるなら、病気に対する見え方も変わってきますね。

認知症になっていくことに対する不安を持つ人が、もしそのような視点を持てたら、少し楽に生きることができるのかもしれません。

普通に暮らしていくことは、それ自体が実は神様から頂いている特別なスピリットに満ちた宝物なのだ。このことを常に忘れずに、感謝しよう。

長谷川先生の優しいことばにたくさん触れることのできる一冊です。

医療従事者だけでなく、認知上の人がこれからたくさん増えてくる日本では、誰もが読んでほしい、知っておいてほしいことが散りばめられています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言posted with ヨメレバ長谷川 和夫/猪熊 律子 KADOKAWA 2019年12月27日楽天ブックスAmazonKindle